世羅町の『コシヒカリ』、 『ヒノヒカリ』は、おっとりした味わい。
当社、ダイショクでお取り扱いしている 世羅町のコシヒカリは、こんなところで作られています。

『今高野山』で有名な、大田庄、(広島県世羅郡世羅町)で 芦田川の上流のきれいな水と 清浄な空気の中 

『久保さん』が、ていねいに育てられたお米です。

久保さんは、まじめで優しく じっくりとお米の改良に取り組まれて20年。

世羅コシヒカリと改良米比較

つい先日2017年11月15日に RCC中国放送さんが、TV取材に来られています。(放映は12月) 

これだけ大きな粒と 収穫粒数が違う改良が今年は出来ました。(久保さんは、シャイなため 今回は顔出しはせず、 稲のサンプルを見せてくれました。)

 すごいですねー。こちら写真の左側の改良種が、もうすぐ お客様のお店、レストランの食卓に登ります。

世羅という土地は、823年に弘法大師が、お寺を建てたのが始まりといわれている村落でした。

やがて 平重衡の荘園となり 1186年に後白河法皇のご供養費用を捻出するために 高野山に寄進がなされました。紀州の高野山は、そのお礼に 世羅に7堂12院からなる ”西の高野山”を建立したのでした。

そのころから『今高野山』とよばれて、高野山、西の別院として大変栄えてきました。

今でも 今高野山として 参拝することができます。

深遠な山の中に たくさんのお社や、お寺があり、住職さんや僧侶さんがいらっしゃいます。

高野山の神聖な空気がながれ 音もなく静かな環境が、ここ世羅にあります。

氷高野豆腐ができるように 『備後山奥の世羅』は、寒暖の差が大きく、これが、『世羅コシヒカリ』のうまみ大きく引き出しています。』   と、久保さんがおっしゃいました。

ちょうど 僧侶のかたが通りがかり いろいろ資料をくれました。こんな時間に(^^;)ありがたや~。

 

「備後応仁の乱」などがあっても ”世羅は高野山であったので” 町が破壊されることはなかった。そのおかげで現在も 平和なまちで 米作りができるんですよ。」と 久保さんはおっしゃいます。 

芦田川と片田川の清流が流れます。 その向こうには三川ダムがありますね。

「昭和30年に 福山市に「日本鋼管」ができた時には、世羅からもたくさん人が、働きに いっとったんよ。ぜひ 福山の人たちにも 世羅のお米を食べてほしいなあ。」と いわれてました。

★ただ今、 久保さんの所で 農業、稲作、大豆作をやりたい若者を 受け付けております。

応募してくれた若者に、田んぼをお貸しします。 トラクターなどの機材は、久保さんの法人のトラクターをお貸ししております。  ここで 美味しいお米を作りましょう。   (^^)

応募をご希望の方は、ご連絡くださいませ。当社でもご紹介しております。

 

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