世羅という土地は、823年に弘法大師が、お寺を建てたのが始まりといわれている村落でした。
やがて 平重衡の荘園となり 1186年に後白河法皇のご供養費用を捻出するために 高野山に寄進がなされました。紀州の高野山は、そのお礼に 世羅に7堂12院からなる ”西の高野山”を建立したのでした。
そのころから『今高野山』とよばれて、高野山、西の別院として大変栄えてきました。
今でも 今高野山として 参拝することができます。
深遠な山の中に たくさんのお社や、お寺があり、住職さんや僧侶さんがいらっしゃいます。
高野山の神聖な空気がながれ 音もなく静かな環境が、ここ世羅にあります。
氷高野豆腐ができるように 『備後山奥の世羅』は、寒暖の差が大きく、これが、『世羅コシヒカリ』のうまみを大きく引き出しています。』 と、久保さんがおっしゃいました。
ちょうど 僧侶のかたが通りがかり いろいろ資料をくれました。こんな時間に(^^;)ありがたや~。
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